2011年3月日垣隆リビア取材を検証する
ジャーナリスト日垣隆が2011年3月に行ったリビア取材については、困難である西側ルートからのリビア入国や、現地滞在時間の短さなどの疑問がある。著述から氏の行動を追う。
参考資料
イタリア、チュニジアとの時差 -8時間
参考資料から推測される氏の行動
3月5日(土)
椎名誠氏と対談(新潮45より)
3月6日(日)
ローマ経由でチュニスへ出発
ローマで遊んだかどうかは不明
ローマ-チュニス
フライト時間:1時間弱
最短で6日(現地)夜にチュニス入りは可能とみられる
アフリカ滞在時間は長く見積もっても2日半
3月7日(月)
「私がリビアとチュニジアとの国境にある巨大な難民キャンプに到着したのは、今年3月7日」(週刊現代より)
難民キャンプを取材している(新潮45より)。
3月8日(火)
トリポリまで行った?と推測できる(新潮45より)
チュニス-トリポリ 750km弱を車で往復 合計1500km
チュニスからリビア国境までは550km
推測:
1日に3度警察に拘束された(新潮45より)のは8日か。
3月9日(水)
リビアとチュニジアの国境の難民キャンプについて以下の記述がある。
「仮設トイレは到着したのだが、3月9日現在でもまだ設営されていなかった。」(週刊現代より)
11:27(日本時間 現地3:27)
17:23(日本時間、現地9:23)
次のツイートの9分前でありチュニス滞在とみられる
爆撃、すごい。
チュニスで爆撃はあったのか?
twitbirdから
3月10日(木)
北陸へ移動
「東京に戻ってから2時間ほど休んで、すぐ北陸に所用で出かけた途端、東日本を前代未聞の大地震と巨大な津波が襲った。」(週刊現代より)
3月11日(金)
東日本大震災発生時(14:46)、北陸に滞在
氏の行動の疑問点
- 西側からのリビア入国をどのように果たしたのか不明である。2011年8月8日までに氏はその方法を明らかにしていず、証拠はなんら提示されていない。
- 写真一枚公開していない。「小屋に閉じ込められて尋問されSDCardを消去された」「チュニジアの軍人は写真撮影にも応じてくれるほど柔らかくなった」ということは、尋問後は写真を撮ることが可能であるはずだ。
- 現地滞在時間の短さに加え、3度軍に拘束された。さらに山岳地域も取材している。可能な行程だとは思えない。
- 帰りの工程についてまったく語られていない。
- 「リビア国民の実態と北アフリカの今後を知ることを」を調査目的とし、「彼らはリビアの生活を広く世界に知ってほしいと強く願っていた」にもかかわらず、氏のルポからはそれらのことについてはまったくわからない。リビア取材をしたことは吹聴しているが、中身がない。
- 「目的を達したら、すぐに帰るのは、それなりに仕事が詰まっている者には当然のことだと思いますが。」と述べているが、はたして目的とは何だったのであろうか。
最終更新:2011年08月11日 13:04